強さか、上手さか

今からもう二十年も前のことになる。かつて大相撲の世界で「若貴ブーム」とか「若貴フィーバー」と呼ばれるものがあった。「若貴」とは、若乃花と貴乃花の兄弟のことだ。土俵の鬼と言われた初代若乃花と、角界のプリンスと呼ばれた名大関・初代貴乃花の血を引く、この兄弟の人気はすごかった。父親である初代貴乃花を引退に追いこんだ千代の富士が、今度はその貴乃花の息子に引導を渡されるという、親子二代にわたる因縁の対決も、人気に拍車をかけた。

そのころ、ワイドショーによく出ていた蔵間(元関脇)が、若貴について評した言葉が、二十年経ったいまも覚えているぐらい印象的だった。

ある日、ワイドショーを見ていたら、司会者が「お兄ちゃんと弟では、どっちが強いですか?」と聞いたのに対して、蔵間が、

「お兄ちゃんは上手い、弟は強い」

と答えた。
なるほど、それは素人目にもわかった。貴乃花(そのころはまだ貴花田)の相撲はまだ荒削りな印象だったのに対し、お兄ちゃんの相撲は抜群に上手かった。

司会者はさらに、「将来は、どちらのほうが上にいきますか?」と質問を重ねた。この質問の裏には、当時、弟より人気があったお兄ちゃんのほうが上に行く、そう言ってほしいという意図が感じられた。しかし、蔵間の答えはとても明快だった。

「将来的には強いやつが上に行きます。強いやつは上手くなれるから」

これはなるほどと唸った。上手い人は強くなれないが、強い人はうまくなれるのだ。そして、蔵間の見通しの通り、弟は平成の大横綱になった。お兄ちゃんも横綱になったけれど、弟には及ばなかった。

私は長く武道をやってきたけれど、小手先のテクニックが上手い人に、強くなる人はいなかった。はじめて見る技でも、一度見ればすぐにできるような器用な人もいる。しかし、器用なのと強いのとは違うのだ。いくら技のレパートリーが多くても、いくらきれいに動けても、絶対的な強さ(地力といってもいい)を持つ人間には通用しない。武道における強さとは、足腰からくる。これはスクワットのような筋力トレーニングでは鍛えられない。重心を落として、立ち続け、ゆっくりと動く鍛錬を続けることでしか、養われない。この足腰ができていると、相手がいくらテクニックを弄しても、ビクともしないのだ。

社会人になって、仕事にも同じことが言えることに気がついた。いろいろなツールや、ビジネスフレームワーク、メソッドをたくさん仕入れて知っている人が、現場ではまったく役に立たないということはよくあった。これは知識が役に立たないということではない。知識以前の地力がなくては、その知識をうまく使いこなせないのだ。知識の豊富さは、いわば「上手さ」であって、その前に基本的な「強さ」が必要なのだ。

仕事における「強さ」とは何か。

それは「自分の頭で考える力」であり、地道に仕事を「やり遂げる力」のことだ。これは本を読んだり、勉強したりするだけでは身につかない。現場に身をおき、「なぜ?」を問い続けること。そして、成果を出すまでは決してやめないことでしか、養われないものだ。上手さはその後についてくる。上手さは求めて得るものではなく、結果として身につくものであり、まず求めるべきは「強さ」なのだ。

二十年以上前、蔵間の話を聞いてから、何に取り組むにも「上手さ」より「強さ」を優先しようと決めた。はたして、いまの自分は「強さ」を優先できているか。自らを振り返ってみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA